すべての肩書きから解放される

すべての肩書きから解放される

自分ってなんなんだろうってことをここ1週間くらいずっと考えていて、「何者でもない自分」がコンプレックスだったことに気がつきました。

  • 社会人でもない、何かトクベツな個性や能力があるわけでもない。
  • 誰かの親友や強力なパートナーでもない。
  • 誰の妻でも母でも恋人でもない。
  • 優れた娘でもなく、親孝行なんてまともにできていない。

そんな自分が、すごく不安定で、誰からも選ばれない欠陥品のように思えていたのだと思います。

「人はみんなそんなもんだよ」

心の中で、誰かがそういう気がしたけれど、それでもまわりはみんな、自分の仕事があったり、夢があったり、趣味や楽しみがあったり、恋人や家族がいたり、親友がいたり…。

そんな風に見えていました。

ステディではない間柄

友達・恋人・同僚・娘…。

どんな組織に属していなくても、対人関係にもそれぞれ名前があります。

名前のない関係は、軽視されているどころか「危険だ」と言われることも多いように思います。


清く正しい対人関係を築けなかった

一般的には、ずっと一緒にいる人や「愛」、近くの人をたいせつにすることが、正しいことだと言われていると思います。

「固定された」「安定した」「不変の」「絶え間ない」「堅実な」「規則正しい」そんなステディを見つけることが、大事だと言われているように思うのです。

近くの愛を大事にできない

「本当の友達を大事にしたほうがいい」

「やっぱり家族の絆と幸せが一番大切」

「恋人に一生愛される」

いい歳をして誰かの母や妻どころか、恋人にも、親友にも、親孝行な娘にさえもなれていない自分が、あまりにも不甲斐なく苦しく感じていました。

だけど、どこにも居場所がない

近くの人を大事にできない私には、どこにも自分の居場所がないように思えていました。

「いい年なんだから」「ちゃんとしなきゃ」

ずっとそう思っていたけど、できない自分がずっと苦しかったんです。

人間関係が下手なのは、全部自分のせい

正しい人間関係を築けずに、誰のステディにもなれない原因は、全部自分にあると思っていました。

「居場所がない」「感謝できない」「一生一緒にいたいわけではない」などと、思ってしまうような自分の未熟さと人でなし加減。

そして、相手にとって、そうでしかあれない価値のない自分。

そんな、自分の責任で、私は誰のステディにもなれない、とそのことがコンプレックスでした。


たいせつな、名もなき関係

こんな私だけど、「心が通じた」と感じることも「ずっと一緒にこうしていられたら楽しいだろうな」と思うこともあります。

心から尊敬して、「離れても一生頭が上がらないくらいに好きなんだろうな」と思う人も、心底感謝をしている人もいます。

「よくなりたい自分」を受け入れてくれた

改めて思い返してみると、私が感謝し、受け入れてくれた、心が通じた、と思う人たちはみんな共通して、「よくなりたいと願う自分」を丸ごと、受け入れてくれたように思います。

ダメな自分を否定して、よくなることを強いる訳でもなく、「そのまま」なんて言葉はいいけど、弱いダメな自分を過保護にしたり、マウントを取るわけでもなく。

「よくなりたい」「強くなりたい」「こうありたい」「こう考えてる」そんな自分の、それこそ「ありのまま」を受け止めて、応援してくれた人たちがいました。

鮮明に温かい瞬間

  • 「あなたの仕事ぶりを信頼している」「一緒に働こう!あなたとだったらちゃんと仕事ができるし、ちゃんとあなたも楽しめると思うわ、待ってる」と言ってくれた、ミランダみたいな、直属ではない女上司
  • 「アドバイスをもらってばかりなんていうけど、素直に聞いてくれるのが嬉しい。そこが魅力だし、本当にいいところだよ。」と言ってくれた紅茶屋さん
  • 漠然と未来に不安を感じていた時に山にドライブに連れ出してくれて「看護学校にでも一緒に行く?」なんて笑ってくれた人
  • 新しいワクワクと好きなものをたくさん広げてくれて、本当の強さと優しさをいつも見せていてくれたひと
  • すぐに流されてしまう私に「大丈夫、本意じゃないこと言われた時にうーーん、って言ってるから、そこで止まるように心がければ」と、気づいて、気づかせてくれたひと
  • 中途半端に自分勝手に去ろうとする私に、個別でそっと連絡をくれて、自分の弱さと優しさをさらけ出して向き合ってくれた人

本当に掛け替えのない瞬間で、その時のセリフも、自分の気持ちも、温かさも、今目の前で起こったことのようにリアルに蘇らせることができるのです。

自分が一番、肩書きに惑わされていた

それなのに、私はまた惑わされて、自信のなさを言い訳にして「近くの人」「明確にこれだと呼び合える関係」ではない関係であることに不安を感じていました。

  • 「すごく嬉しいし、楽しいけれど、私が一方的に思っているだけ」
  • 「すがっているだけかもしれない」
  • 「夢かもしれない」
  • 「明日にはいなくなるかもしれない」
  • 「相手にはもっと大事な人がいるから」
  • 「目を覚まさなきゃ」
  • 「しっかりしなくちゃ」
  • 「ひとりで立たなくちゃ」

そう自分に言い聞かせてきたように思います。

幸せだと思えれば、それだけでいい

私はそもそも、何かに縛られるのも、誰かに決められるのもイヤで、自分で決めたり、自由に飛んだり笑ったりするのが好きなはず。

常識や決められたルールにとらわれず、のびのびしている自分が一番好きです。

「人間関係が築けない」と決めていたのは自分

自由でいたいはずなのに、自分で自分を「良好な人間関係が築けないダメな人間」と決めつけて、勝手に傷ついていたのは、自分でした。

「正しい人間関係」を押し付けていたのも自分

そして、「良好な人間関係」を、「家族」「恋人」「親友」「同僚」など、一般的なものに限定してしまっていたのも、自分自身でした。

「ステディな関係」は、尊いけれど

そりゃ今だって、素敵な家族がいる人も、誰かに「一生のパートナーとして選ばれる」ようなプロポーズも、一生一緒だと思える親友も、切磋琢磨する仕事の関係も、すごくすごく羨ましいし、素敵なことだとは思います。

だけど、それに向いていないなら、それはそれでもいいのかな、とも思うんです。

本当に、これは強がりでも言い訳でもひねくれでも、なんでもなくてね。

愛しいと思える強烈な一瞬があれば、それだけで

過去を振り返ると、私は本当に幸せで、人に恵まれていると思うんです。

一生記憶に焼き付いて離れないような、幸せな瞬間があれば、その一瞬だけで十分だと思える瞬間が、私にはあります。

そして、どんな関係であれ、たとえもう会わなかったとしても、ずっと好きでい続けられる人たちもいます。

「人間関係が築けないダメな自分」という思い込みを外してみて初めて、「本当に幸せだったし、これからも大丈夫だ」と気づくことができたんです。

それが自慢できるような思い出や、人に紹介できる関係や、今でも一生続いている間柄でなかったとしても。そんなこと、なんの問題でもありませんでした。

肩書きから、解放される

私は、すべての役割から、解放されようと思います。

それは、決して自分の役割や、人間関係を放棄することではありません。

自分自身の可能性や、幸せの範疇を決めてしまわないということ。

そして、他の誰にもそれを決めさせたりはしないということ。

何者にもならなくていい

私はきっとこれからも、誰の妻にも母にも親友にもなれず、同僚にも会社員にもなれないのだと思います。

でも、だからといって不幸なわけでも、何かを諦めたり捨てたりしているわけでも、放棄してラクをしたいわけでもありません。

世間の、そして、誰かの、トクベツな何かになど、なれなかったとしても、私にとってトクベツなものや、瞬間が1mmでも、一瞬でもあれば、それだけでいいと思うのです。

そんな、強烈な瞬間を感じられる心は、私の中に、ちゃんとあるのだから。

変わりたい日記カテゴリの最新記事