「私はこう思う。」と口に出すこと

「私はこう思う。」と口に出すこと

なんでもない、ふつうの朝。

居間で窓を開けて寝ていたら、身体が固まりそうに寒かった。このままだと、喉を痛めそう。4時半頃、自分の部屋の布団に潜り込んだ。

二度寝から目が覚めたのは、8時16分。今日は12時からの出勤だから、もう少しゆっくりでいい。どうしようかと悩んだけれど、大概はこの「悩む」ムダな時間を後悔する。階段を降りて、ゆっくりコーヒーを飲むことにした。

テキトーな母と、考えすぎな私

居間では、母が懐かしい曲を口ずさんでいる。夏の終わり、定番の長時間番組で、昨夜、その作詞家のスペシャルドラマが放送されていた影響だ。

母はいつも、耳にしたものをすぐに口ずさむ。

いつもどこか間違っているし、テキトーな歌詞とテキトーなリズムを、なんの疑問も持たずに口ずさむ。

♫ 行ったきりなら帰ってくるがいい〜

どうしたらこんな風に間違えられるのだろう。そもそも日本語がおかしい。なんでなんの疑問も持たずに、こんなに気持ちよく歌えるんだろう。

こんなにも、動じない母から、こんなにも考え過ぎてしまう私が生まれてきたなんて不思議だ。

夏恒例の、長時間番組への批判

誰かやなにかを批判するのではなく、想いを伝える

避けてきたテレビ番組

Twitterのタイムラインを覗くと、これもまた、毎年恒例の景色。母が影響を受けていた、テレビ番組への批判が集まっている。

毎年、8月最後の土日に放送されるこの番組には、私はあまり思い入れがない。土日はいつも働いていたから、見る機会がなかった。そして多分、私はそっと避けてきた。ほんのすこし見ただけで心が痛む。

  • 「この人たちがトクベツなのだろうか?」
  • 「この人たちは『カワイソウ』なのだろうか?」
  • 「頑張れって、これ以上何を頑張れというの?」
  • 「こんなに輝いているのに、まだ光を当てる必要があるというの?」

そう思い、心が重くなる。だから、目を逸らしてきた。

だけど。だけど。

ここまで否定するのも、いかがなものかとそれはそれで、心が苦しい。

批判をするのは簡単だけど

もしも、もしもこの人たちが、「頑張ろう」「頑張りたい」と思っているとしたら、「頑張れなんて悪」「中止にしろ」「傷つけるな」その言葉こそ、傷つけているのではないか。そう思った。

これ以上に効果のある方法があれば、それを示せばいい。批判するだけなら、誰でもできる。そうも思った。

どちらが正しいかなんて、私にはわからない。私が伝えたいことはこれです!なんて、そんな大層なものもない。

「伝えたい思い」なんて、そんな大層なものはなくても

だけど、「私はこう思う。」ただそれだけでは、どうしてダメなのだろう。

誰かや何かを否定したり、その想いを「総意」や「絶対」にしなくてはいけないのだろうか。どうして。

自分の考えが違っていたと気づくこともある。環境や感じ方が変われば、時代が変われば変わる思いもある。だけど、前に言っていたからとか、誰かが否定したからとか、そんなことはどうでもいい。

「今、私はそう思う。」それで、それだけで充分ではないだろうか。

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自分の意見を口に出す。そして、

「私は、こう思う。」

伝えたい思いなど、大層なものはなくていい。その気持ちさえあればいい。

それ以上を人に押し付けることも、押し付けられることもない。そんな言葉を、残していきたい。そう思った。

「私は、こう思う。そして、それは間違っていることも、変わることもある。」

敵を作るのはきっと、それを「自分の意見」として、100パーセントの責任を負うのが怖いからだ。誰かのせいや、誰かの批判にしておけば、同じ敵を持った、たくさんの味方や言い訳が作れるものだ。

そして、私たちはいつもどこかで、「間違ってはいけない」「変わってはいけない」「こんなことを言うとどう思われるのだろうか」と、正しさや世間の目を気にしてしまう。

だから、「私はこう思う。」「こうしたいです。」が、なかなか言えずにいるのだろう。

許容すること。改善すること。

それでも。

どうしても変えたい現実があるなら、批判をするより改善する方法を考えたい。

「私はこう思う。」

そう伝えるためのビジョンをちゃんと、描きたい。

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